◆ 人魚姫のうた ◆



涙、と言うものを知らなかった。
泣くほどに哀しいことはなかったし
海の中ではそんな切なく美しいものは見たことがなかった

十五の夜 初めて空に浮かぶ月を見た
十五の夜 初めて人間を見た
十五の夜 初めて恋をした
その感情の名前を知ったのは もっとずっと後のこと

涙、と言うものを知らなかった。
泣くほどに嬉しいことはなかったし
海の中ではそんな切なく美しいものは見たことがなかった

そとの世界にあこがれた
人間の世界にあこがれた
人間にあこがれた
今も その気持ちは変わらないけれど

涙、と言うものを知らなかった。
泣くほどに感動することはなかったし
海の中ではそんな切なく美しいものは見たことがなかった

そとの世界でくらした
人間と一緒にくらした
王子と一緒に くらした
それは凄く凄く幸せな日々だった

涙、と言うものを知らなかった。
泣くほどに苦しむことはなかったし
幸せな日々の中ではそんな切なく美しいものは見たことがなかった

王子とどこかの国の王女との結婚が決まって
私は 汚い感情を覚えた
私は 愛する感情を覚えた
私は その存在を意識していなかっただけなのかもしれないけれど

涙、と言うものを知ったのは人魚でなくなったとき。
王子と王女が 海に向かってきれいなしずくを零していた
あぁ それすらも美しく
とてもきれいなものだった

人間は いつのときでも輝いて
人間は いつのときでも美しいのね。

涙 と言うものがどれほどに切なく美しいものなのかを知ったのはもっと後のこと
哀しいときに、ひとは涙を流すのね。
嬉しいときに、ひとは涙を流すのね。
苦しいときに、ひとは涙を流すのね。
言葉に表せなかった感動も、涙にして流すのね。

あぁ、私にも涙があったなら。
こんなにもつらい気持ちをしなくてすんだのかしら
これは 私が人魚の世界のおきてを破った罰なのかしら

…いいえ、違うわ。
これは 私が人魚で生まれてきたあかし
人間にはなれなかったけれど
きれいな涙は流せなかったけれど
私の感情は流れ落ちることはなくここにある
それは私がここにいる理由になるの。






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